雑記

小説を読む

小説を読むときは一気に読みたい派だ。没入して浸りたいのだ。その世界に浸って、自分の脳内季節を進めたり、脳内年代を戻したりするのが楽しい。もちろん年代は進める場合もあるけれど。この話の季節は秋か、と思えば、脳内で涼しさを感じる。この話の時代は90年代の後半か、と思えば、脳内スマホを抹消して携帯すら普及していない適度な不自由さに浸ってみる。もっと過去になると自分が生きていないので、歴史の教科書を再生するイメージになるけれど。そのほかにも、目の見えない人が主人公の場合には、脳内視力をオフにする。これが不思議な感覚で、主人公としての視力はオフにしているけれど、その様子をメタ的に眺めている自分は映像として脳内の視覚を使っている。その物語を読み終えた後、そのままの感覚で他の話を読み始めると、脳内視力オフの状態を引き継いでいることに気づいて、そうだった、と思って改めて脳内視力をオンにすることがある。乙一さんの『暗いところで待ち合わせ』という小説があって、この作品を読んだ時に脳内視力の感覚を理解して、不思議で楽しかったな。こうやって自分を合わせにいって、世界に入り込めるのが小説の楽しいところだ。ハリーポッターを読めばホグワーツに行けるのだから、創作とは素晴らしいものであるなと感じるのである。