雑記

許容も拒絶も妥協も、自分の自由だ。

自分のことをコントロールできている、というのは錯覚だ。人は自分の外側のものに影響される。逆に言えば、自分の外側のものが自分を作っている。それは良くも悪くもあって、たまに意識しないうちに内と外の境界が薄れてしまう。流動的に内と外を行き来する自分と他人。自分の意識と他人の意識。もちろん、他人の意識なんてものは自分のフィルターを濾した残りであるから、厳密な客観性はない。そういう意味では内も外も自分だと言えるのかもしれない。問題は取捨選択をしないこと、もしくはできないことにある。正しく拒絶することは難しい。許容や妥協も、能動的に選択した、と認識することは難しい。ぼやけた思考でなし崩しにそうなってしまった、という経験はないだろうか?思考して拒絶や許容、妥協の選択をするには、内と外の境界をしっかりと認識しておくべきなのだろう。そう思っても上手くいかないときもあるだろうけれど、そういう選択も自由だと、覚えておきたかっただけだ。